本田翼司会の「名作ゲームの魅力に迫る教養番組」。今回のテーマは『DEATH STRANDING』。ゲストにその作者の小島秀夫と星野源。
この「繋がり」をテーマにしたゲームを「分断と孤立」「唯一無二の“配達ゲー”」「1人だけど孤独じゃない」「依存と分離」という4つのキーワードから探るというもの。
こういう風にテレビで作品論や文化論、社会論としてゲームを扱うのは新鮮。クリエイターとしてお互いリスペクトしあっている旧知の仲である小島と星野だからこそ、とても深いところまで話が進んでとても興味深い。
「縄のゲーム」を作りたかった、と小島は言う。
人類が最初に作った道具は「棒」でそれは「嫌いなものを遠ざける」もの。一方、次に作った道具である「縄」は「好きなものを括りつける」もの。オンラインゲームができて世界中とつながれるようになったが、そのゲームはみんな「棒」のゲームばかりだったからと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/abeeead085f537d103a2e1ae4af74a48f229918a
引用元: ・小島秀夫さん「オンラインゲームはみな棒のゲームばかりだったから縄のゲームを作りたかった」
ライトユーザーを縛り首にしたい願望かな?
この一言に尽きる
だからたまに現れる穴にみんな群がってた
草
肉壺ワッショイしようぜ
やめなよ
そのレス俺がしたって事にしていいか?
短文でこういう返しをできるのが本当の天才だと思うよ
監督とID:Uu92w/YK0は反省するように
小島秀夫はこいつの垢を煎じて飲め
みんなが作った建設物に評価し合ったり共有するゲーム
っていう発想と実物は実際斬新だったけどな
ただ、ツイッターみたいなもんだから気色悪くもある
二つの有名な宝の地図がすれ違いだけで九州まで巡ってきたのには感動したしな
ここから俺の土地だとしたけど
それだと点で分かりづらいから
点と点を結ぶ縄が要請された
そして、領域が展開されて(呪術廻戦)
私有という概念が本格的に起動する
すべてがアニミズム的な神に属するものだったのが
(誰のものでもなかったのが、共有や私有へと変じていく)
その神を切り取ることに成功した
一種の神殺しが行われて、神のコントロールが可能とされた
神社という様式は、その独りよがりの作法を引き継いでいる
御神体とされるものはあるけれど
それは人間が自分勝手に象徴的に神とみなしているだけで
神そのものにはなりえない
神というのは切り取れたり、一箇所に封じられるようなものではない
神社の御神体というのは空洞でしかないんだよな
置いておかないと人間側として締りがないからそうしているだけで
(中空構造なんたらにも繋がっている気はする)
これが人間が独自に持っている記号にするってことなんだろうけども
所有を主張するものであったり
誰のものでもなかった土地や空間を
切り取る効果のある、とても攻撃的なものでもある
これはわたしの所有である
それ以外の可能性はない、とするのは暴力的なんだよ
だから、結婚なんてのも暴力を孕んでいる
あなたは他の異性と結ばれる可能性を持っているけど
それを放棄させて、わたしだけのものにするってことで
リアルと繋がってる風の演出で、誰とも繋がってなかった
監督信者だけどあれは最高にだっせぇなぁって思った
そうなんですこれはダクソから着想を得て云々とか言えば
オマージュやインスパイアの範疇で皆済ませてくれたのに
無駄に強い自己愛が邪魔してそういうのできない人なんだなーって冷めた
その好きなものの自由を奪う
その好きなものが有していた属性を
変化させてしまうのが
縄でくくりつける、自由を奪うってことで
好きだった、愛していたものが
所有することで、その価値を失って
意味も失うってことは往々にしてある
しかしながら、社会現象を起こしたとか誰でも知ってるような影響力のあるゲームでも無く、
よく知らんゲームを制作のトップ自らが出てきてドヤ顔解説して、それを大仰に絶賛するタレント共
まあ一言で言えばクッセー番組だったわ
星野源はほんとくっさい
最初に出演して曲提供したゲーム紹介ってさあ
小島の顔は特にキツイ
全然違う
縄要素のオンラインはデモンズに似せているが
そもそもこのゲームは歩荷でやる登山ゲームとしての新しさが主だ
Euro truck simulatorの歩く版みたいな感じだ
監督が縄にこだわって主張するからデモンズと言い返されるが
デモンズと言ってるやつは所詮動画勢だぞ
歩いたり走るだけで面白いゲームといっていい
ひたすら動画見てるだけでゲームやらないんだろうな
構造的に同じ欠陥を抱えてる感じはする
感動系のエロゲの場合は
感動部分に至る前段階の日常を延々と見せられて
そこがつまらないわけだけど
デスストの場合は
そのつながりを感じさせるために
配達っていう苦行をユーザーに押し付けてるところ
前提として、ユーザーは現実の延長として
ゲームとか娯楽に飛びつくので
くっそつまらねぇ現実から逃げたくて
ゲームやりましょう、映像作品を見ましょうってなってるのに
わざわざゲームでも苦行を強いるのは嫌気されるわけよな
現実でヘトヘトなのに、娯楽でまで頭使いたくない
哀しいことのない世界をただひたすら見ていたい、みたいな
そういう欲望があるから、なろう系とか美少女動物園(ゆるキャン)とかが
台頭しているわけでね
小島はちょっと浮世離れしている
社会的地位もあって、お金にも困っていないから
ゲームとか娯楽に飛びつく人の気持ちに寄り添えていないんだよね
だから、出来が悪い
芸術家だったら、べつに使われるものじゃなくてもいいけど
商業作家であるならば、人に選ばれるものをつくらないといけない
そういう意味で小島秀夫という人間は作り手としては終わっている
苦行だろうと
癖になる苦行なんよ
監督はゲーム作りの癖でメタルギアでも
数時間プレイすると、
前提度外視アイテムを出してくる
始めは走ることもできないのに
次第に走れる歩行器具を作り、
バイクを出し、四駆を出して
高速道路を出してジップラインを出す
それでも次第にただの配達依存症の敵が銃器を持ち出し
どんどんインフレする
これが監督の作り方
飽きる寸前で次のアイテムを出しているのだが知らない人は
その前に辞めている
小島監督が好きな女優にデスストの出演依頼したら
銃が出てきて殺し合いするようなものに出演したくないって
言われたから出演してもらうためにゲームから
銃を無くしましたって答えてたインタビューなかったっけ?
泣きゲの日常パートがつまらないって言う人は
つまりゾンビがワッ!って出てくるのがホラーであって
雰囲気がジメジメしていて、仄暗くて、曰く付きの何かがありそうなのはホラーではないと言いたいのね
僕はそうは思わないな
それはまた違うかな
ホラー、というか日本の心霊ものや
あとはエイリアンとかもそうだけど
(一部のきちんと”焦らし”ができるクリーチャー系)
出そうで出ない嫌な雰囲気が
メインコンテンツなものとの比較は
土台が間違っているかなぁ
そういうのはバーンと姿が出た時がピークで
あとはどんどん怖さが減じてしまうわけで
ゾンビ系の場合はまた違って
ゾンビであることを隠して、ゾンビ世界であることが
サプライズである場合を除いて
ゾンビ世界での人間のありようがメインコンテンツなので
ゾンビがわっと出てくるところをメインだと思ってる
つくりては大体が失敗というか、デキが悪いものしかつくれないよ
ゾンビはホラーに伝統的に含まれてしまうけど、メインが違う
泣きゲーの場合は
キャラクター同士の関係性っていう土台を
ユーザーにしっかりと植え付けておかないと
その関係性が変化する時の感動が起きない
日常から非日常への飛躍がメインコンテンツ
その日常をおもしろく書くのがとても難しく
一部の人(あなたのような)しかおもしろいと思われないから
市場として広がりがないんだよ
これ以上の被害者を出したくない
コジカンの頭の悪さマジパネーな
それはたしかにそうだな
監督は忙しくて他人の作ったゲーム漁ってないんじゃないかと思う
ただデスストにしてもメタルギアにしても
縄と棒を合わせ技で出している人となると監督以外にほぼいないんじゃないか
分類だけで見るならMGSというよりあつ森に近い感はある
それは緻密なルート設定ができないお前の知能指数に問題があるだけ
泣きゲーほどはねっとりとはやらない気がするか
では、なぜ泣きゲーではそれができないのか
製作者の欲望みたいなのが大きい気もするのかなぁ
むしろ、延々とキャラの日常を描きたいってのがあるのかもしれない
そんなのは一部の好事家を除いて要らねぇなって話なのだけど
美少女動物園や日常系、きらら系とか
そこらへんに接続される意識なのかなぁ
本人としては、自分の創作したキャラが
きゃっきゃうふふしているってのが涅槃の境地なのだろうけど
ユーザーから見ると、退屈でしょうがない
助走が長すぎるとされてしまう
娯楽作品として他の媒体の感動系に負けるよね
泣きゲーは、そりゃ
拘束時間がムダに長い
プレイ時間を誇るRPGみたいな錯誤が起きている気がするか
何を言ってるのかオレはサッパリなんだがお前らはわかるの・・・?
デスストと他のオンラインゲーの違いもわからん
ああいうのがプロっていうの